一家に1枚「世界とつながる“数理”」 —すべての人になかに“数理”はある
鮮やかな色合いが目を引く、文部科学省「一家に1枚 世界とつながる”数理”」のポスター。その制作チームのメンバーである理化学研究所数理創造プログラム(iTHEMS)コーディネーター兼プログラムディレクター室室長の永井智哉さん(写真右)とプランナー・科学コミュニケーターの島田卓也さん(写真左)にお話をうかがいました。
所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2025年1月
(執筆/撮影:篠崎菜穂子(フリーアナウンサー/ 数学コミュニケーター))
それぞれどのようなお仕事をされているのですか
永井:私はiTHEMSでコーディネーターとして、研究をサポートする仕事全般やアウトリーチの仕事などを担当しています。
島田:私は主に科学を伝える仕事をしています。一昨年(2023年)の春まで、約20年間、お台場にある日本科学未来館で展示の制作などに携わってきました。それ以前は、デザイン事務所でインタラクションデザインという分野の仕事をしていました。科学コミュニケーターという職業がありますが、私自身は人に直接説明するのではなく、「モノ」に置き換えて何かを作ることや、あるいは「環境」を作ることを通して、科学を伝える仕事をしています。
お二人の出会いは日本科学未来館だと伺いました
島田:大学卒業後に入社したデザイン事務所の最後の仕事が、日本科学未来館の展示制作でした。その展示を未来館に納めた際、「やはり未来館の内部の人がプランニングやディレクションを手掛けながら展示を作っていく形が良いのではないか」と感じ、未来館に就職しました。私は展示が作りたいという希望で入ったのですが、実際に配属されたのはWeb制作などを担当する部署でした。そこで、一緒に制作を進めるメンバーとして紹介されたのが永井さんでした。
永井:私は博士課程を修了した後、約2年間ポスドクとして研究を続けたのち、日本科学未来館に就職しました。しっかりとしたWeb制作チームを立ち上げたいということでその部署に配属され、そこで島田さんと出会いました。約1年半、一緒に仕事をしました。
日本科学未来館ではどのようなお仕事を一緒にされたのですか
永井:日本科学未来館は2001年7月にオープンしましたが、最初の1年間はまさに試行錯誤の連続でした。さまざまなことを「どうしたら実現できるか」と模索し続ける日々でした。ちょうどその頃、Webを取り巻く新しい技術が次々と登場しており、それらを試したりもしていました。例えば、今は当たり前になった動画配信も、当時はまだ珍しく、未来館に動画配信サーバを購入して設置し、配信システムを構築して人々に見てもらう試みを行いました。与えられた予算を、「どう使ったら皆に親しんでもらえるか」を片っ端から考え、島田さんたちと一緒にいろいろなことに挑戦しました。
島田:私たちの部署は、基本的にはメディアを活用したアウトリーチをターゲットとするセクションでした。私はせっかくだったら自分ならではの仕事を作りたいと考え、「サイエンスグッズを作る」という一人セクションにしてもらい、割とその仕事をしていました。やはり、ものづくりがしたかったので、展示ができないのであれば、その代わりに手に取れるプロダクトの中にサイエンスをギュッと詰め込み、多くの人に届けたい。そんな思いで取り組んでいました。もちろんWebの仕事もやりましたが、8割ぐらいはグッズを作っていました。
永井:Webは誰もが最初に思い浮かべるアウトリーチの手段ですが、それ以外のものも自由にそこから生み出してよいと解釈していました。だからこそ、サイエンスグッズを作るという発想には私も非常に共感し、グッズやものを通して人々に親しんでもらい、そこから新たな発想やインスピレーションを得てもらうことを島田さんと一緒に考えていました。それが今回のポスターにも繋がったと思っています。
その頃の思いが今回のポスターにも繋がっているのですね。一家に1枚「世界とつながる”数理”」のポスターに応募しようと思ったきっかけを教えてください
永井:私が2023年4月にiTHEMSに着任した頃、文部科学省から「一家に1枚」のポスター制作の公募がありました。私は20年前に1作目の周期律表が配られた頃から、「一家に1枚」の存在を知っており、いつか自分も作ってみたいと思っていました。さらにiTHEMSからも、「一家に1枚に数学や数理をテーマにした応募をしてもらえないだろうか」という提案がありました。
私自身、もともと理論に近いところの研究をしていましたが、全体像というものが私を含め、一般の方々にもなかなか伝わりにくいのではないかと感じていました。そこで、それを整理しながら、さらに多くの人に伝えるものを作るよい機会だと思い、“数理”をテーマに応募しました。
実際に制作をされてみていかがでしたか
永井:期間が限られている中で、制作過程が非常に厳しくなることは覚悟していました。さまざまな境界条件を考慮しながら、その中でどうすれば良いものを作れるかを常に考え、チーム体制を組んだり、iTHEMSのメンバーに協力をお願いしたりしました。
進行する中で、想定外の大変なこともありましたが、文部科学省の担当者の皆さん、iTHEMSの中で協力してくれた人たち、デザイン会社の方々、島田さんはじめ制作チーム、非常にうまくいろいろな要素が嚙み合って形になったと感じています。
島田:私はまず、デザインディレクションを担当しました。「こういう風に作りたい」というしっかりとしたコンセプトのビジュアルを考え、デザイン会社さんにお願いできる形にしました。
また、構成のアドバイスでは、提案時に作成したポスターの大まかな内容や構成が、実際にポスターにして編集する時にどう見えるものにしていくのかを主に意識しました。具体的には、「iTHEMSという数理の専門集団による、数理を伝えるための企画」というところからスタートしているので、研究領域紹介のような見え方や、研究者の内側から見た数理の整理の仕方になっている部分もあるように私には感じられました。それを小、中学生が見るポスターにする際には、研究者や研究業界から見た文脈ではなく、彼らが受け取って意味がある文脈に整え直さないといけません。この部分を、特に初期の段階で調整していました。
ポスターの中で特に力を注いだところはどこでしょうか
永井:私がこのポスターで最も表現したかったことは、「様々なところで数学、数字、数理が使われている」ということです。さらに、”数理”が、一般の人たちにどのように伝わってほしいかを考える中で、ポスターでは「数学を道具として使うこと」という形で表現しましたが、数学や数字を道具として使って、それが社会の中でどのように活用されているのかというところが伝わるものを作りたいと思っていました。
そういう意味では、この円の外にあるものを「アイテム」と呼んでいますが、「アイテム」の選定や配置には力を注ぎました。ポスターに入れる数には限りがあるため、どのアイテムを選ぶことでこの方向性に近づけるか、またそれぞれが全体のどこに入ることによってどうなっていくのかなど、まるで難しい問題を解くような感覚で進めていきました。一つ一つが意味のあるものである必要があり、最終的には今の形に納まっていきました。
島田:この「一家に1枚」シリーズ、今回の”数理”が記念すべき20作目になります。それまでのポスターを見ると、青や黒、茶色が多く使われています。やはり、科学のポスターやアウトリーチでは、どうしても図鑑のような、お勉強っぽいデザイントーンになりがちです。それが、科学が少し距離を感じさせる理由になっている部分もあるのではないかと思うのです。だから、今年の数理のポスターが学校の壁に貼られる際には、絶対にそうならないようにしようと思い、虹の7色を使いました。「今までと違う!変わった!」という、今までの流れではないものが貼られている感じがきっとすると思います。
それぞれポスターに込めた思いはどんなことでしょうか
永井:ぜひ各家庭に、本当に「一家に1枚」貼っていただき、これをきっかけに家族の会話が生まれたら嬉しいです。また、もしこれが会社に貼られていたら、部下と上司、仲間同士などで話すきっかけになればいいなと思います。コミュニケーションや会話のきっかけになるような形で、さまざまな場所に貼ってもらいたいというのが、まず大きな思いの一つです。
最初のサイエンスグッズの話とも繋がりますが、皆さんがこれを手に取ったり、目にすることで、新たな刺激を得てさまざまな意見が出てきたり、数学を道具として使って何か新しいアイデアが生まれたり、そういったツールとして使われていくといいかと思っています。
島田:私が最も外さないようにと思っていたところは、「数理を使おう」という部分です。「“数理”とは数学を道具として使うこと」というキャッチコピーも私が考えました。
やはり、小学校、中学校と上がるにつれて、「数学は好きじゃない」「苦手だ」と感じて脱落していくというストーリーがあるでしょう。それが本当にそうなのかどうかは別として、皆、そのストーリーを信じて、クラスの中の半分は数学から脱落することを認めてしまっているような気がするんです。それはあまりにももったいない。これだけ世の中全体が数学の上に成り立っているのにもかかわらず、世の中の半分以上の人が小、中学生で脱落するということを「仕方がない」としてしまっているというのは、やはりおかしいじゃないですか。実際、誰もが数学を使ってきたし、後からだっていくらでも使える。「そもそも数学はすべての人たちのものなんだよ、苦手な部分はあるかもしれないけれど、脱落するという概念自体がありえないんだよ」という思いをポスターに込めました。
お二人にとっての“数理”とは
島田:このポスターで「数理を使おうよ」と言葉でなげかけていますが、私自身はおそらく普段から仕事でも、さまざまな活動でも自然に数理を使っています。だから、一般の人たちがあえて”数理”という名前をかぶせる必要もないかもしれないなと思っています。むしろ、数理がもっと透明な存在になっていくといいかなと。数理という言葉をあえて気にしなくても、普段から自然と論理的なものの考え方であったり、論理の積み上げ方であったり、あるいは量や数に親しんでいたり。数理という言葉自体はどこかのタイミングで忘れ去ってしまったけれど、自然に使っている状態になっていけるとよいのではという気はします。だからこそ、「数学は苦手」「私はもう数学は縁遠い」と思って、そういう考え方をしなくなってしまうのは絶対に損です。数学が苦手かどうかは関係なく、自然に数や量、論理の考え方を取り入れてもらえるとよいのではないでしょうか。
永井:「数学を使う」とか「数理を使う」というだけでなく、例えば、論理的に物事を考え、ステップを踏んで他の人に納得してもらったり、新しい商品を開発したり、社会に貢献するものを生み出したり、いろいろなところで論理的に考える力というのは活用できると思います。これも数理の考え方の1つです。この「数理の考え方を使う」という意味では、人間がこれまで積み重ねてきた様々な知識を、論理的に展開して活用していくというところの根本になっている考え方だと思います。
最後にこれからの展望を教えてください
永井:このポスターを使って、理研の一般公開でワークショップを開催しました。このような活動を通じて、「一家に1枚」のポスターが次の新たな展開に繋がればいいなと考え始めています。
実際の活動としては、様々なイベントや新たなグッズなのかもしれないし、新たな本やゲームなのかは分かりませんが、何か形が違うものも含めて展開していく中で、「道具として数学を使う」という”数理”の考え方が広まるものの一つがこのポスターだけれど、さらに次の何かが生まれてくることを期待して、今後も何かやっていきたいと思っています。
島田:ワークショップ、本当に面白かったんですよね。永井さんが言うように、ポスターをコアにして、さまざまな活動を広げていかなくてはいけないと感じています。ワークショップもまだ1つしか作っていませんが、それをアーカイブ化して、誰でも実践できるようなマニュアルにして広げていってさまざまな学校で試してもらうとか、何か共有できるようなものをたくさん生み出していけたらいいですね。
文部科学省「一家に1枚 世界とつながる“数理”」ポスター
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