所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2024年11月
現職: 理化学研究所 数理創造研究センター (iTHEMS) 数理基礎部門 客員研究員
(執筆:鈴木志乃(フォトンクリエイト)/ 撮影:及川 誠(フォトグラファー))

分野と分野の境界領域を歩いてきた

「物理のものの見方と数理のものの見方を使って、組織や細胞が正常か病気かを識別したり、病気の進行や治療効果を予測したり、医療に役立てることができないか。そういう視点で研究をしています」と山本さんは話します。さらに「入り口は物理でした。そこからたくさんの出会いがあり、生物物理、医学、数理と、どんどんつながってきました。ずっと分野と分野の境界領域を歩いてきたというのが、私の特徴といえるかもしれません」と振り返ります。

大学3年生のときに受けた非線形物理の講義が、そのような歩みのスタート地点でした。山本さんは物理を学びたいと京都大学理学部に進学したのですが、教養課程で学ぶ生物や化学や数学はどれも面白く、興味を一つに絞れずにいました。そうした中で、物理からは一見遠いところにあるように思える生命のシステムが、非線形物理を使うと物理のことばでも表現できるというアプローチに驚きと魅力を感じ、また、そのような考え方を生き生きと語る吉川研一教授(現 名誉教授)の姿に惹かれ、吉川教授の研究室を志望して大学院に進学しました。

細胞膜モデルの研究に取り組んでいたある日、研究室の先輩から「生物物理若手の会」の集まりに誘われました。「正直に言うと、あまり乗り気ではありませんでした。引っ込み思案で、家でじっとしているのが好きなタイプなのです」と、山本さんは苦笑します。しかし参加してみると……。「生物物理若手の会には、生物と物理の境界領域で研究している日本中の若手研究者や学生が参加していました。バクテリアなどの生物やタンパク質を用いた実験をしている人たちもいました。私は、物理を使って生命を理解しようとする中で、生物そのものへの興味も大きくなっていたので、研究室の中だけでは得られない大きな刺激を受けました」

最初は参加に乗り気でなかったにもかかわらず、夏の学校というイベントの責任者を務め、その後、若手の会の会長にもなりました。山本さんは、その理由をこう説明します。「人と話すのも苦手だからこそ、あえて役割を持って自分を追い込むことで、人とのつながりをつくろうとしているのです。生物物理は、生物と物理の境界領域にあるため、一人で両方の分野をすべて理解するのは難しいでしょう。だからこそ、いろいろな人と話をして、教え合うことが必要だと思うのです」

一度は断ったドイツ留学。そこで出会い、得たもの

「ドイツに半年間留学しないか」。博士課程2年のとき、吉川教授からそう言われました。そのときの山本さんの心を占めていたのは、「困った。行きたくない」という思いでした。それまでドイツ語には触れたこともなく、英語にも自信がありませんでした。そもそも、実はそのころ、自分が研究職としてアカデミアの世界に残れる自信がなく、博士課程を修了したら就職しようかとも考えていたのです。「こんな貴重な機会は私にはもったいないので遠慮します」と、一度は断りました。それでも強く背中を押され、2012年9月、ドイツ・ハイデルベルク大学へ。

ハイデルベルク大学では、生物物理化学の講座を主宰する田中 求(もとむ)教授の研究室で細胞膜モデルの研究を進めました。山本さんは、「ドイツ留学は、私の研究者人生の一番の転換点になった」と言い切ります。日本にいたときは、将来への不安に押しつぶされそうになっていました。しかしドイツに来てからは、研究はしんどいけれども楽しく、「将来がどうなるかは気にせず、とにかく研究しよう」と思えるようになり、不安や自信のなさは消え去ったのです。旅行にも行かず、研究漬けの日々を送っているうちに、あっという間に半年が過ぎました。

山本さんは、「ドイツ留学の経験がなかったら、研究者になっていなかった」とまで言います。田中教授が細胞を用いた実験をされているのを見て、自分も実験を取り入れたいと考え、帰国後の研究の方向性も明確になりました。しかも田中教授が京都大学でも研究室を立ち上げることが決まり、留学を終え帰国するときにその研究室の研究員にならないかと声を掛けてもらったのです。

生物と医学の近さ、物理と数理の近さを実感

山本さんは、新しく立ち上がった研究室で、細胞を用いた実験の手法を一から学びました。「初めてピペット操作を教わるときは、先端の位置や角度、液体が動くスピードはどのくらいかなど、何も見落としてはいけないというプレッシャーがあって、ものすごく緊張しました」。山本さんは身振りを交えて真剣な表情でそう語り、続けて「これは性格によるものですね」と笑います。

細胞を用いた実験を取り入れる中で、医学との接点が増えてきました。「生物と物理の境界領域の研究をしていると、生物と医学の近さ、物理と数理の近さを感じます。生物物理の枠を超え、生物と医学、物理と数理の“のりしろ”を探してつなぎ、重なり合う部分を足がかりにして研究を広げたいと考えるようになりました」と山本さん。

さらに、iTHEMSプログラムディレクターの初田哲男さんと、ハイデルベルク大学・京都大学の田中教授が知り合いだったことがきっかけで、京大―ハイデルベルク大―理研ワークショップ「医学と数理」研究会の第1回が2019年に開催されました。山本さんはそのワークショップに参加し、理研でも医学と数理の境界領域の研究が行われていることを知り、iTHEMSに関心を持つようになったそうです。そして、2024年9月に開催された第5回にはiTHEMS研究員として参加し、世話人を務めました。

「5回のワークショップに参加していると、医学の計測技術もデータサイエンスも進歩し、得られるデータの量が増え、質も向上していること、また解析のための数理モデルも発展していることを実感します。その流れは、さらに大きくなるでしょう。一方で、医学といっても多くの分野があり、それぞれにマッチした数理の手法があるはずです。私は、医学と数理の境界領域を、ここiTHEMSで広げていきたいと考えています」

医師の経験を数理で翻訳し、医療現場へつなぐ

山本さんは、研究を医療現場へつなげることを強く意識しています。京都大学で取り組んだ京都府立医科大学眼科学教室との共同研究から生まれた成果から特許を取得し、技術移転され医療現場で使われるようになったことが、きっかけの一つです。

それは、角膜内皮の細胞の並び方を計測し、細胞集団の品質や組織の状態を診断する技術です。角膜内皮の状態を診断する指標はこれまでもありましたが、精度に問題がありました。角膜内皮は細胞がびっしり並んでいます。従来は、細胞の大きさ・形・密度を指標としていました。山本さんらが注目したのは、細胞の並び方です。細胞の並び方から細胞同士に働いている力を記述するポテンシャルを数式で求め、その値を指標とすると、従来の指標と比べて高い精度で診断ができることが確かめられました。この数値指標は、再生医療における細胞の品質管理、予後の予測にも活用できます。

この研究開発の過程では、眼科医師ともたくさん議論したそうです。その中で、医師は現場で多くのことを感じ取っていますが、その感覚が診断にどう結び付くのか確信をもてないことも多いということを聞きました。その経験を通じて山本さんは、「医師の感覚や優れた観察眼を数理で翻訳し、数値化し、法則を見いだし、医療現場に活かすということにチャレンジしたい」と考えるようになったのです。「その挑戦にとって、iTHEMSはまさに絶好の場です」

iTHEMSについて山本さんは、「周りには一流の研究者がたくさんいて、フラットな関係性でいつでも自由に議論ができる環境は、とても素晴らしいです。普段は刺激されない脳の部位が活性化されるような楽しさを日々感じています」と語ります。

ずっと分野と分野の境界領域を歩いてきた山本さんは、「境界領域の研究が難しい理由の一つは、コミュニティが小さいことだ」と言います。「医学と数理には“のりしろ”があることを、双方の専門家、さらには若い世代に伝えて興味を持ってくれる人を増やし、コミュニティをつくり、広げていきたいと考えています」

そして最後に、山本さんは若い人たちに伝えたいことがあると言います。「勇気を持って一歩を踏み出してほしい。失敗するかもしれないけれども、それも含めて経験です。思い切ってドイツに留学していなかったら、私は今ここにはいません」

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