究極の目的に向かってあらゆる手法を駆使して挑む
本多 正純
(理化学研究所 数理創造プログラム (iTHEMS) 上級研究員 / 埼玉大学 大学院理工学研究科 連携教授)
宇宙における究極の構成要素は何か。宇宙を支配する究極の物理法則は何か。宇宙はどのように始まったのか。こうした謎の解明を目指す素粒子理論が、本多正純さんの専門です。本多さんがiTHEMSに至る道のりと、研究の手法や分野の広がり、そして量子コンピュータを素粒子理論に応用しようという最新の研究について、お話を伺いました。
キーワード: 理論物理学、素粒子理論、量子コンピュータ、物性物理、ポスドク
所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2024年12月
現職: 理化学研究所 数理創造研究センター (iTHEMS) 数理基礎部門 上級研究員
(執筆:鈴木志乃(フォトンクリエイト)/ 撮影:及川 誠(フォトグラファー))
今の私にとって最高の環境
「iTHEMSには、さまざまな分野の人がいます。分野の広さは世界でも類を見ないほどで、今の私にとって最高の環境です」。そう語る本多さんは、研究者としてのフェーズによって必要な環境は変わると考えています。「学生やポスドクのときは、一緒に研究するためにも周りに同じ分野の研究者がたくさんいる環境が望ましいです。一方で、経験を積み主導的に研究を進めるフェーズになってくると、むしろ異なる分野の研究者が周りにいる環境の方がプラスになることがあります」と説明します。
本多さんは2013年に博士号を取得後、インド、イスラエル、イギリスでポスドクとして研究を行い、日本に戻って京都大学基礎物理研究所で助教としてキャリアを積んできました。そして、現在はiTHEMSの上級研究員として、主導的に研究を進めるフェーズに入っているのです。
ここで、「いきなりインド? さらにイスラエル?」と気になった人がいるかもしれません。本多さん自身も「いろいろな国でポスドクをしてきたことは、私のキャリアの特色です」と言います。では、iTHEMSに至る道のりを振り返ってみましょう。
壮大な目的に向かうため、手法は選ばない
素粒子理論は物理学の一分野ですが、「大学に入学した時点では、物理学と地球科学のどちらを学ぶか迷っていました」と本多さん。もともとは、高校生のころに燃える氷とも呼ばれるメタンハイドレートが日本周辺の海底下に大量に存在していると知ったことがきっかけで、大学では地球科学を学ぼうと思っていました。一方で、物理学に強い興味をもったのは、高校3年生のときに通っていた予備校の物理の授業がきっかけでした。
「数学以外はどの教科も覚えることが多く、覚えることで点が取れると思っていました。ところが、その物理の先生は、覚えることは最小限でいい、基本的なことを覚えておけば、そこからさまざまなことを導き出せる、と言うのです。しかも、人類がまだ分かっていないことや、大学ではどういう物理の勉強ができるかも話してくれて、授業がとても楽しかったのです」
本多さんが進学した筑波大学では当時、専攻を決めるのは2年次でした。1年間自然科学を広く学びながら考え、物理学を選びました。しかし実は、留年の危機も。「私も含めてほとんどの人が大学の近くで一人暮らしをしていました。毎日が修学旅行のようで、つい遊び過ぎてしまいました」と笑います。「3年生のころ、素粒子理論の研究者としてやっていきたいと決めました。ポジションが少なく競争の激しい世界だと知り、それ以来、本気で物理に取り組んできました」
宇宙における究極の構成要素は何か。宇宙を支配する究極の物理法則は何か。宇宙はどのように始まったのか。これらの謎を解き明かすことが、素粒子理論の目的です。「あまりにも壮大な目的ですよね」と本多さん。そして「壮大な目的だからこそ、手法を選ばずに取り組みたい」と続けます。派手で一過性の研究より、地味でも長期的に重要そうな研究をしたい。それも、本多さんの一貫した姿勢です。
うまくいかなくても後悔しない道を選んだ
学位取得後、世界中の大学や研究機関に応募して、オファーを受けた中から本多さんが決めたのは、インドのハリシュ・チャンドラ研究所でした。博士課程3年のとき、インド、デンマーク、ドイツ、アメリカ、ブラジルと、世界の研究機関を3カ月かけて巡り、その最初に訪れたのがハリシュ・チャンドラ研究所でした。
本多さんによれば、卓越した人は世界中でランダムに現れ、人口が多い国ほどその確率が高くなる、とのこと。さらに、「理論物理学は、実験設備を必要とせず、紙とペンとパソコンがあれば研究ができます。そして、卓越した人がいれば、そのもとに人が集まり、活発な研究が行われるようになる。ハリシュ・チャンドラ研究所は、まさにそうした場所でした」と語ります。ただし、最高気温が50℃近くになり、日本とは文化や食べ物が違うため、生活面では苦労したそうです。
インドで約2年を過ごした後、イスラエルのワイツマン科学研究所へ。世界的に優れた理論物理学者が多く在籍しており、3年間、快適な研究環境でした。
そして、イギリスのケンブリッジ大学へ。言うまでもなく、歴史があり、卓越した理論物理学者を多く輩出している大学です。ケンブリッジ大学で1年半過ごした後、京都大学基礎物理学研究所の助手となり、日本へ。海外でのポスドク期間は、6年半にも及びました。その年月を振り返って本多さんは、「競争が激しい上に任期が短く、先が見えなくてつらい。一方で、自由に生活ができて楽しい。その両方の思いがありました」と語ります。
そうした中で、素粒子理論の研究者をやめようとは思わなかったのかと尋ねると、「ない」と即答でした。「どちらの道がうまくいきそうかを考え、進む道を決める人が多いのではないでしょうか。私の場合は、素粒子理論に進んでうまくいかなかった場合と、素粒子理論に進まなかった場合を比べ、どちらが後悔しないかを考えました。そして、うまくいかなかったとしても素粒子理論に進んだ方が、自分にとって幸せだと思ったのです。だから、先が見えなくても、素粒子理論の研究を続けようという気持ちは、まったく揺らぎませんでした」
量子コンピュータを素粒子理論に応用する
本多さんは、海外でのポスドクの経験を振り返って、「素粒子理論研究の長期的な目的は変わりませんが、どのようにアプローチするかという幅が広がりました」と語ります。特に、イギリスで大きな出会いがありました。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学の日本人会の交流会でのこと。「オックスフォード大学で量子コンピュータの研究をしている人から、量子コンピュータを素粒子理論に応用するという研究があると聞き、興味を持ったのです。素粒子理論では、現在の古典コンピュータを用いた数値計算が苦手とする問題があります。その状況を量子コンピュータで打開できるのではないかと考えたのです」。そして、ケンブリッジ大学に在籍中に量子コンピュータを素粒子理論に応用する研究にも着手し、日本に帰ってから本格的に取り組み始めました。
「手法が広がると、その手法を使っているほかの分野との接点ができます。すると、その分野の手法を取り入れたり、自分の分野の知見や手法をほかの分野に応用する機会も増えます。量子情報、物性物理、数理物理、天体物理と興味も広がり、気付けば学際的な研究も増えていました」。本多さんがiTHEMSに移ったのは、興味が広がっていった少し後のことで、iTHEMSに移ってからさらに興味が広がりました。「挙げたすべての分野の研究者がいて、日常的に議論できる。iTHEMSの環境は、想像していた以上に素晴らしいです」
量子コンピュータの発展を待っているだけでいいのか?
本多さんは、iTHEMSでさまざまな研究に取り組んでいますが、その一つが、量子コンピュータを素粒子物理学の数値計算の問題に応用する研究です。理研では量子コンピュータをつくっていて、30以上の研究室が関わっていることから、研究環境としても申し分ありません。
しかも本多さんは、新しいアプローチも始めています。「これまでは、量子コンピュータを素粒子理論に応用してやろう、という気持ちでやっていました。しかし、量子コンピュータはつくるのが難しく、性能のよい量子コンピュータができるまでには何年かかるか分からない状況です。それを待っているだけでいいのか、と思い始めたのです。自分が持つ素粒子理論や物性物理の知識を使って、量子コンピュータの発展を早められないか。それを意識した研究を少しずつ始めています」。一方で、古典的なコンピューターを使うアルゴリズムの発展も目覚ましいです。本多さんは、「手法を選ばずにやっていきたい」と繰り返します。
研究の楽しさを伝え、次世代につなぐ
本多さんは、2024年の理研和光地区一般公開で「量子コンピュータで宇宙の始まりを探る」という講演を行いました。「素粒子理論は基礎科学であり、すぐには役に立ちません。しかし、知的好奇心を満たしてくれ、とても楽しいものです。芸術にも似ていて、十分に社会的価値のあることだと感じています。研究の楽しさを人々と共有することで、素粒子理論の社会的価値を高めたいのです。だから、研究の楽しさを発信ができる機会を積極的につくっていきたいと思っています」
2024年9月からは埼玉大学の連携教授も兼任しています。それにも理由があると、本多さんは語ります。「素粒子理論の最終的な目的は、おそらく私が生きている間には達成できないでしょう。だから、後進を育てて、次の世代につなぐことが重要なのです」
そして、こう結びました。「宇宙はどのように始まったのか。それは、私たちはどこから来たのか、という疑問でもあります。この疑問は、古代ギリシアからの関心事です。もしかしたら、人類が意識を持ち始めたときからの疑問なのかもしれません。そんな壮大な疑問に挑む素粒子理論の道を選び、続けてきてよかったなと思っています」