ゲノム情報から生物の進化を読み解く
ジェフリ・フォーセット
(数理創造プログラム 上級研究員)
生物学の研究と聞くと実験を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、ジェフリ・フォーセット研究員は、コンピュータを使い、遺伝情報を解析することで生物の進化を研究しています。いったいどのような研究をしているのか、その一端をご紹介します。
キーワード: 進化、ゲノム、DNA、遺伝子、栽培化、遺伝子制御ネットワーク
所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2019年8月
(執筆・撮影:荒舩良孝/科学ライター)
栽培植物の研究から進化研究の道へ
地球上には、175万種もの生物がいるといわれています。ただし、これは人類に知られているものだけです。まだ知られていないものを含めると、その全貌は誰にもつかめていません。地球上の生物はとても多様で、共通点を見つけるのはたいへんなように思いますが、すべての生物に当てはまる共通点が1つあります。それは、どの生物も、設計図にあたる遺伝情報をもっていて、それをもとにつくられているということです。
遺伝情報はデオキシリボ核酸(DNA)という巨大な分子上に、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類の塩基が並ぶことで表現されています。ヒトの場合は、30億の塩基が並んだ2本のDNAが対になっています。つまり、A、G、C、Tの4種類の塩基が文字となり、DNAに遺伝情報が書き込まれているわけです。ジェフリー・フォーセットさんは、この遺伝情報を読み解き、生物の進化の過程を明らかにするゲノム進化の研究をしています。
「生物の遺伝情報を表現するA、G、C、Tの並びはランダムではなく、種ごとに違います。その並び方にどのような法則性があり、種ごとの違いがどのようにしてできてきたのかに興味があります」と語るフォーセットさんは、大学4年生のときに栽培植物起源の研究室に所属していました。栽培植物というのは、人間が栽培し、食用としている野菜や穀物などのことをいいます。私たちが日常的に口にしている野菜や穀物などは、もともと野生の植物を人間の好みに合わせて変化させたものです。
野生の植物が栽培化によって変化してきた過程は、人為的につくられたのですが、進化の一種といえます。そのような研究に関わる中で、フォーセットさんは、ゲノム(生物のもつ全遺伝情報)の変化と進化の関係を研究したいと考えるようになったといいます。いったい、どのようにゲノムから生物の進化を紐解いているのでしょうか。
生物全体に当てはまる法則を探したい
現在の理論では、地球上に生物が誕生したのは、今から約40億年前といわれています。現生する様々な生物のゲノムを調べてみると、関係性の近い種ほど、種として分かれた年代が近くなるので、ゲノムの塩基配列は似てきます。つまり、たくさん生物種のゲノムを比較することで、生物の進化の道筋を明らかにすることができるのです。
フォーセットさんは、動物、植物、酵母など、生物のゲノムを幅広く研究していますが、その舞台は実験室ではなく、コンピュータ上です。コンピュータを利用して、様々な生物のゲノムデータを分析することで、生物の進化について探っていくのです。生物学者ということで、ピペットやフラスコを持ち実験をするイメージを思い浮かべてしまうと違和感をもつ人も多いでしょう。
「私は、特定の生物にだけ起こる現象にはあまり興味はありません。どちらかといえば、生物全体に当てはまる一般的な法則に興味があるので、そのような法則を発見したいと考えています」とフォーセットさん。「研究では数式を多用するわけではありませんし、生物関係の学部・学科で研究してきたので、以前は『数理』や『理論』についてあまり意識していませんでした。でも、iTHEMSに着任して、これまでを振り返ってみると、自分が思っていた以上に『数理』や『理論』との接点をもっていたのだと感じています」と評しました。
遺伝子制御ネットワークの進化を解き明かす
現在、フォーセットさんが取り組んでいる研究の1つは、酵母の遺伝子制御ネットワークの進化の過程を明らかにすることです。生物は、細胞の中でゲノムに記された遺伝子の情報をもとにして、タンパク質をつくります。これを遺伝子の発現といいます。そして、そのようにしてつくられたタンパク質の中には、他の遺伝子が発現するスイッチのオン、オフを切り替えるものがあります。つまり、1つのタンパク質が発現したことによって、あるタンパク質の生産が調整され、その結果、別のタンパク質の出現にも影響を及ぼすというように、他の遺伝子の発現にまで影響を与えているのです。この関係性を明らかにしたものが、遺伝子制御ネットワークです。
酵母は、遺伝子の数が少ないこともあり、ゲノムの塩基配列だけでなく、遺伝子制御ネットワークもわかってきました。フォーセットさんは、iTHEMSの望月敦史さん、岡田崇さんらと協力して、酵母の遺伝子制御ネットワークがどのように形成されてきたのかを明らかにしようとしているのです。「酵母のゲノムには、過去にすべての遺伝子が倍になった痕跡があります。そこから現在の遺伝子数に落ちつくまでに、いろいろな遺伝子が減り、ネットワークも変化していきました。その過程を、シミュレーションなどの手法を使用して明らかにしていこうと考えているのです」とその狙いを語ります。
生物は、ゲノム情報がわかれば理解できると考えられていた時代もありました。しかし、ゲノム情報が解読されても、未だにたくさんの疑問が残っています。フォーセットさんは、ゲノム情報だけでなく、遺伝子制御ネットワークの情報のように、まだ活用されていない情報を分析することで、生命のしくみについて理解していこうとしています。このような研究を通して、生命とは何かという根源的な問いに迫っているのです。
(写真は、2019年7月7日- 8日に行われたワークショップの様子)