所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2023年11月
(執筆・撮影:荒舩良孝/科学ライター)

生物と数学を両方学べる道へ

「大学の1回生のときに、数理生物学の本に出会い、数学と生物学が両方学べるのは最高の分野だと思ったのが最初のきっかけです」

入谷亮介さんは子どものときに昆虫が好きで、虫捕りなどもよくしていたといいます。それだけでなく、小学生の頃には算数の楽しさに目覚め、街中で見かけた車のナンバーで2桁かける2桁のかけ算をやったり、スーパーマーケットでかごに入れた商品の合計金額を税込みで計算したりと、ゲーム感覚で暗算をしていたそうです。

大学は、生物も数学も両方学べる理学部へ進学しました。数理生物学という学問分野の存在を知ると、入谷さんは本の著者であった九州大学の巌佐庸先生にメールを送り、アドバイスを受けながら学部での勉強を進めたと言います。

「そのとき受けたのは『若い頃に数学をたくさん勉強するといい』という言葉でした。例えば、学位を取ってから新しい数学を学ぶとなると、ハードルがあがります。あのときのアドバイスをもらって、数学を学ぶことが習慣化できたことは、今でも身を助けています」

生物学として意味のある数理モデルをつくる

数理生物学で取り扱う数学は、微分方程式や漸化式が基本になることを知り、学部生時代の入谷さんは、解析学に力を入れました。卒業後は巌佐先生が研究室を構えておられた九州大学大学院に進み、生物の移動についての研究に取り組みました。

「生物が移動するのは、空き地を開拓するという意義もありますが、きょうだい同士のけんかを回避できるという血縁選択の理論が関係します。この頃が血縁選択の概念におもしろさを感じ、研究していました」

巌佐研究室には、博士課程の学生は一定の期間、外国の研究機関に行き、研究する文化があったそうです。入谷さんも興味深い論文を書いていた研究者にコンタクトを取り、フランス国立科学研究センターの機能・進化生態学研究センターと、スイスのローザンヌ大学に滞在し、研究を進めました。「このあたりから、数理生物学のおもしろさがわかってきた」と、入谷さんは振り返ります。

「ある研究者から『数理モデルを使ってただ式を導出するのではなく、生物学的に意味のある式変形をするといい』というアドバイスがありました。それから、生物のプロセスを意識して、1つ1つの項に意味づけしながら、式を整理するようになりました。項や数式の意味や生物とのつながりを深く考えるようになり、研究をさらにおもしろく感じるようになりました」

生物学の人にも数学の人にも通用する話し方を

入谷さんの大きな転機となったのが2018年。この頃、ポスドクとしてカリフォルニア大学バークレー校で研究をしていました。アメリカのアカデミア環境に、どことなく居心地の悪さを感じ、日本への帰国を考え始めた矢先、iTHEMSの公募の話を聞き、応募したのです。ただ、1回目の応募のときは面接まで進んだものの、採用されませんでした。iTHEMSの公募は半年後もあり、このときも応募し、2回目で採用されたのです。

「2回目の公募のときは、応募しようか迷いました。でも、友人に相談したときに『絶対に応募するべきだ』と背中を押してもらい、決心しました。2回の面接を通して感じたのは、しっかりと数学の言葉や概念を使って議論しないと、数学をよく知る人には話が伝わらないということでした。2回目の面接ではそこを意識して、生物学的な意味や現象の話だけをするのではなく、それが数学的にどのように表現できて、どのような意味をもつのかもしっかりと結びつけて説明しました。生物学と数学の両方の分野の言葉を使って話すことの大切さを学び、2回の面接がとてもいい勉強になりました」

理論1つで世界の見え方が変わる

iTHEMSに来てからは、様々な分野の人たちと出会い、入谷さんもたくさんの刺激を受けています。研究では、数学者、生物学者のどちらともコミュニケーションが取れるようにすること常に心がけているといいます。

「パラメータがたくさんある複雑な数理モデルは、生物の予測は得られますが、構造が複雑すぎて検証や生物学的な解釈ができない場合がありあす。私は予測の検証ができるように、できるだけシンプルなモデルづくりを意識しています」

例えば、病気が宿主集団の中でどのように広がるかを計算するSIRモデルでは、男女の性も含めると、6行6列の行列の固有値を求めることが必要になります。しかし、対称性や空間の幾何的特性を用いてうまく解析を進めると、2行2列の行列にまで近似することができます。入谷さんは数理生物学の魅力をこのように語ります。

「生物学では、基礎的な概念でもモデル化されていないことがたくさんあります。数理生物学は、生物が引き起こす現象をモデルとして表して概念化する学問だと思います。そういう意味では、私は理論生物学と呼びたいです。1つの概念をつくると、この現象をどのように理解すればいいかがわかり、世界の見え方が変わってきます。そこがすごく楽しいですね」

入谷さんは基礎的な数学や生物学が好きで、生物の生態や進化といった基礎的な領域を中心に研究をしてきました。しかし、iTHEMSでいろいろな研究者と話す中で、社会に関わる研究も大切だと思うようになったと言います。

「基礎的な研究もしつつ、社会とつながりのある理論もつくっていきたいですね。例えば、生物多様性を保存するためには、人間がルールをつくる必要があります。これまで研究してきた数理生物学と人間の行動原理や経済理論などを結びつけた新たな理論をつくり、人間と自然が共存できる社会についてのヒントを示すことができたらと思います」