異分野の研究者に刺激を受け数論幾何を磨く
宮﨑 弘安
(数理創造プログラム 上級研究員)
数学の研究者と聞いて、どのようなイメージをもちますか。一人で部屋に籠もってひたすら研究している姿でしょうか。それも数学者の一面かもしれませんが、周りの人たちと議論したり、コミュニケーションを取ったりすることで問題解決の糸口を見つけることもあります。宮﨑 弘安 上級研究員は、いろいろな分野の人たちが集まるiTHEMSの環境によって、自身の視野が大きく広がったといいます。
所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2021年11月
現職: 数理創造プログラム 客員研究員
本務先: 日本電信電話株式会社 NTTコミュニケーション科学基礎研究所 研究主任
(執筆・撮影:荒舩良孝/科学ライター)
山登りのような数論研究
「整数論の研究は山登りに近いものがあります」
宮﨑弘安さんは自身の研究についてこのように語ります。「最初のうちは自分がどこにいるかわからないので、とにかく登るしかないという気持ちで進めていきます。ただし、どんどん進めていくとどこかの頂に到達し、これまで苦労してきたことの全体像が見えるようになります。苦労した後に、すごい眺望を見せてくれる感じがして、整数論のそういうところが好きなのです」
日常生活の中で、私たちは様々な「数」に触れています。「朝7時起床。気温は9℃。スーパーで2500円の買い物をした」など、1日過ごす中でも、それこそ数え切れないほど接しています。でも、「数とは何か」と聞かれると答えに窮するのではないでしょうか。数学は数について深く探求していく学問だといえます。
数にはいくつもの体系があります。日常生活でよく使うのが個数を数えたり、順番を表したりするときなどに使う自然数です。この対象を負の数にまで広げた整数。整数に分数を組み合わせたものが有理数です。この有理数も、私たちはよく使っています。
整数では数が0、1、2、3というように飛び飛びに存在しています。有理数では0と1の間の数も存在していますが、それでも数は飛び飛びの状態です。そこで、πなど有理数では表現できない無理数などを含めて、連続的な数の体系である実数が考えられました。さらに16世紀には実数に虚数を加えた複素数の体系が発見されました。宮﨑さんの取り組む整数論は、これらの数の体系の中で整数の性質について研究する学問です。
整数は古くから発見されていた基本的な体系です。しかし、基本的だから簡単というわけではありません。整数にはリーマン予想、フェルマーの最終定理、abc予想など、難解で重要な問題が含まれています。
幾何学の手法で整数の問題を解く
宮﨑さんはもともと複素解析が好きで、将来は複素解析や複素幾何学を専門に学びたいと考えていました。でも、大学3年生のときに、輪読セミナーでジャン・ピエール・セールの『数論講義』を読み、その考えが大きく変わったといいます。「この本は後ろの方で複素関数論を使って整数論を研究する話も出てきます。複素関数論が出てくるのだったら読んでみようと思って読み始めたのですが、実際に読んでみると、最初の整数論の部分がとてもおもしろかったのです」と宮﨑さんは振り返ります。
「整数は、最初は無秩序に並んでいるように見えます。そのような複雑で規則性がなさそうなものでも、よく調べると規則性が見えてきます。そして、最終的にとてもシンプルな理論となることがよくあります。きれいな理想的な理解をしたいと思い続け、泥臭い努力をすることで、正しい解にたどりつくことができるところが、私と合っている感じがします」(宮﨑さん)
宮﨑さんは幾何学の手法を使って整数の問題を解決していく数論幾何という分野。整数論では特定の方程式に解があるかどうか、解があった場合はその解が有限なのか、無限なのかといったことを調べます。数が連続している実数の場合は、グラフなどを描くことで解があるかどうかの判定が比較的簡単にできますが、数が飛び飛びになっている整数の場合は解があるかどうかを数学的に証明するのが難しいことが多いのです。
「方程式の解を、整数や有理数といった連続的でない数の範囲で探すためには、通常の意味でグラフを描いてもほとんど役に立ちません。しかし、代数幾何という抽象的な理論を使うことで、連続的でない数でも役に立つ、グラフを一般化した空間(スキーム)を得ることができます。スキームを利用することで、整数の問題でも幾何学のように直感に訴える操作をすることができるのです」と宮﨑さんは説明します。
図形や空間の性質などを調べる手法は、これまでの歴史で膨大に培われてきました。それらの手法を取りこむことで、整数をそのまま扱っていたときには引き出せなかったデータを大量に抽出することができ、新しい発見につながります。
数論幾何は、今や整数の問題を解くための重要なアプローチの1つとなっています。その中でも、宮﨑さんが取り組んでいるのはモチーフ理論です。数論幾何では、方程式に対応するスキームの性質を調べることが重要ですが、スキームは人間の目に見えない複雑な図形です。そこで、コホモロジーという手法を用いることで、スキームをベクトル空間、線形空間、行列などに対応させ、数値的な操作をできるようにします。コホモロジーには、用途に応じて様々な種類があり、スキームの異なる特徴を捉えます。
もっと一般的な理論を目指して
モチーフ理論は、それぞれ独立しているように見えるコホモロジーも、そのさらに奥には共通の構造があるのではないかと考える理論で、アレクサンドル・グロタンディークによって提唱されました。モチーフは多種多様なコホモロジーを統一するような存在で、モチーフを通すことで、それぞれのコホモロジーの間の関係性が見えてくるといいます。
モチーフ理論はウラジミール・ヴォエヴォドスキーによって拡張され、取り扱えるコホモロジーの範囲が広くなりました。しかし、ヴォエヴォドスキーの理論も完璧ではなく、共通に取り扱えないコホモロジーも多くあります。宮﨑さんは、ヴォエヴォドスキーの理論を改良して、モチーフ理論で扱えるものの範囲を広げたいと考えています。
「モチーフをつくると異なるコホモロジーを比較できるメリットがあります。異なるコホモロジーに共通点を見出すことで、スキームのより本質的な性質を理解することができます。モチーフ理論は多種多様な理論と関係するコホモロジーの統一を目材しているため、様々な分野の数学の知識が必要になります。その意味で、私の興味を広げてくれるものでもあります」(宮﨑さん)
宮﨑さんは博士研究員としてフランスに滞在したときに、数学に取り組む姿勢の違いに驚いたそうです。「日本ではある問題に取り組むとき、上手くいかない理由を言う人が多いように思います。それに対して、私が接したフランス人数学者は諦めが悪いというか、自分の理想を信じて突き進んでいました。この違いを体験できただけでも、フランスに行った甲斐がありました」と振り返ります。
現在所属しているiTHEMSは数学、物理学、生物学など、様々な分野の研究者が集まっています。宮﨑さんはこの環境から大きな刺激を受けながら、日々、研究を進めているのです。
「iTHEMSでは、様々な分野の人たちと常に話をするので、自分の中にある分野の壁がどんどんなくなっています。iTHEMSでは専門外のことも気軽に質問できて、質問された人も嬉しそうに答えています。この経験を通して視野が大きく広がりました。今は数論幾何という枠組みの中で研究をしていますが、どこかのタイミングで、その枠組みを大きく変えるような理論をつくれたらいいですね。それには、普通の数学者がやらないようなことにチャレンジする必要があるでしょう。普通の数学者が接しないような人たちとゆるいつながりを持っている私には、大きなアドバンテージがあると思います」