所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2019年4月
現職: 数理創造プログラム 客員研究員
本務先: 立教大学 大学院人工知能科学研究科 准教授
(執筆・撮影:荒舩良孝/科学ライター)

AIを進化させた深層学習

この10年間を振り返ると、新しい技術がいくつも登場しました。その中でも、わたしたちの社会を大きく変えると期待されているのが、人工知能(AI)です。2016年1月、AI囲碁プログラムAlpha Goが人間のヨーロッパ囲碁チャンピオンに勝利したことで、AIの注目度が一気に上がりました。囲碁は単純なように見えて、複雑な思考や戦略が必要とされ、AIが人間に勝つのは数十年先だと考えられていたのです。

AIが急激に発展するきっかけとなったのが、ディープラーニング(深層学習)という技術です。この技術の登場によって、囲碁だけでなく、画像認識、自動翻訳、自動車の自動運転など、様々な分野で画期的な成果が次々と発表されて、社会で活用されるようになりました。

瀧雅人さんは、iTHEMSで深層学習の研究に取り組んでいます。深層学習は、人間の脳神経回路網をヒントに提案されたニューラルネットワークと呼ばれる数理モデルを発展させたものです。入力された信号を処理する層をたくさん積み重ねて深くすることで、コンピュータ自身が画像の特徴などを、自ら学習します。

「深層学習で実施することは、1つ1つの層で分けてみると、入ってきた数値データを簡単に変換するだけで、とても単純な作業です。しかし、単純に見える操作を幾重にも繰り返すことで、最終的には、人間には理解できない抽象度の高い情報が抽出されます。この情報をもとにして、問題を解くことで、AIの性能が格段に高くなりました」と瀧さんは説明します。ただし、深層学習で、なぜ、性能の高いAIができるのかは、まだ誰もわかっていません。

深層学習のブレイクスルーを実感

瀧さんは、もともと素粒子物理学の超弦理論の研究に取り組んでいました。超弦理論は、物理学の中でも数学的な要素が強く、数学を使って自然界のしくみを理解したいという想いがあったそうです。ただ、同時に「超弦理論は、数学的にとてもおもしろいものでしたが、理論自体がまだ未完成で、様々な仮定や近似が入っていました。このまま100年、200年と研究を積み重ねても、自然界で証明されない可能性もありました」と、超弦理論に対する何ともいえないもどかしさも感じていました。

そのようなときに、出会ったのが深層学習です。海外の研究者コミュニティでは、日本で注目される数年前から、深層学習が有名になっていました。瀧さんは、最初のうちは深層学習を懐疑的にみていました。歴史を振り返ってみると、AI研究は、過去に何度かブームになったものの10年ほどで終焉を迎え、期待通りの成果が出ていなかったからです。「でも、今回は深層学習の成果をあまりにもよく聞くので、批判的になる前に勉強してみようと思いました。少し勉強してみると、深層学習に革命的な進展が起きていることがわかってきたのです。これは歴史に残るような科学や技術のブレイクスルーを体験しているのではないかと考えるようになり、気がついたら深層学習の研究にのめりこんでいました」と瀧さんは振り返ります。

医療データへの応用に挑戦

ここ数年で、AIは物理学の分野でも積極的に使われるようになりました。例えば、膨大な観測データをAIで処理することで、超新星を探したり、ダークマターの分布を計算したりしています。物理学者の瀧さんも、同じようなテーマで深層学習を用いて研究することもできたでしょう。しかし、現在、瀧さんが取り組んでいるテーマの1つは、顕微鏡画像などの医療データへのAIの活用です。

「私の周りには、医療関係の研究をしている友人が多く、そのような友人との交流の中から、今の研究テーマにたどりつきました。技術の発達で、医療データが豊富に入手できるようになりましたが、それらのデータを病気の診断に活用するのには、独特の難しさがあります」と瀧さんは語ります。

最近は、AIの画像認識技術によって、インターネット上にある大量の写真から、ネコやパンダの写真を自動的に選び出すこともできるようになっています。このような場合は、輪郭や色調といった、比較的大きなスケールでの情報だけで写真にネコやパンダが写っていることが判断できます。細かい毛並みの情報まで必要ありません。

しかし、医師が顕微鏡画像によってがん細胞を見分けるときは、複数のがん細胞が異常な組織をつくっているといった大きなスケールの情報だけでなく、細胞核の変形や1つの細胞の輪郭といった細かい情報も組み合わせることで、正確な診断をしているといいます。「画像によるがん細胞の診断は、一般的な画像認識よりも一段と難しい課題で、この問題を解決できれば、医師の負担を大きく減らせると考えています」(瀧さん)。

新しい数理への可能性

深層学習の発展によって、人類はたくさんの問題を解決する大きな武器を手にしました。しかし、深層学習がなぜ、高い学習効果を発揮するのかは、まだ謎に包まれていて、ブラックボックスのままです。「これまで、物理学や数学が対象としてきたものは、できるだけ少ないパラメータや方程式で、現象を説明したり、操作したりできるものでした。いわば、複雑な現象の本質だけをとらえるという手法だったのです。しかし、深層学習でおこなっているのは、これまで人間が苦手としてきた複雑な現象を複雑なままとらえる新しい数理なのだと思います」と瀧さんは考えます。

深層学習の発見は、人類にとって画期的なものでしたが、自然現象だけが発見され、そのしくみが明らかになってない状態といえます。深層学習のしくみを説明することは、数理科学の側面からも重要になっているのです。

現在、世界中の研究者が、深層学習の内部で何が起きているのかを明らかにするための研究を精力的に取り組んでいます。瀧さんは、深層学習の推論過程を視覚化することで、そのしくみを明らかにしようとしています。例えば、深層学習がネコやパンダの写真を解釈するために、写真のどの部分に注目しているのかがわかってくれば、深層学習が何をしようとしているのかがわかってくるはずです。

深層学習のしくみが解明されることで、AIの技術開発はさらに加速されるでしょう。それだけでなく、物理学や生物学などにも応用されるような新しい研究手法が生みだされるかもしれません。

(写真は、2019年3月29日に東北大学で行われたワークショップとコーヒーミーティングの様子)

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