所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2024年4月
(執筆:篠崎菜穂子(フリーアナウンサー/ 数学コミュニケーター)/ 撮影:及川 誠(写真家))

解析と幾何の交差点 - 場の量子論の数学的研究

場の量子論は、素粒子の世界から宇宙のスケールまで、幅広い現象を記述する物理理論です。中でも量子電磁力学は、理論と実験が小数点十桁以上一致する驚くほど精緻な理論なのですが、数学としては多くの謎が残されています。場の量子論では、物理量を素朴に計算しようとすると様々な量が無限大になってしまいます。しかし、現実に観測される量は有限であるため、物理学ではこれらの無限大を上手く有限の値に置き換えて計算します。こうした操作を数学的に正当化し、矛盾のない枠組みを作る方法を森脇さんは研究しています。

物理学では実験や観測を通じて運動量や圧力、密度などの数値を得ます。これらの数値は、現象を記述する関数として表されます。物理理論の目的の一つは、こうした関数を理論的に発見・導出することです。場の量子論では、これらの関数の定義域は宇宙における素粒子の配置のようなものです。数学的には、「幾何学的な配置(モジュライ空間)上の関数」として捉えることができます。

物理量は、図形の形を変えたり、図形と図形を貼り合わせる操作に対して整合性を持っているはずで、こうした整合性が場の量子論の数学的定義を与えるだろうと現代では考えられています。この考え方は「関手的場の量子論」と呼ばれていますが、まだ未完成な部分が多く森脇さんは、この理論を完成させるためには、どのような関数のクラスを考えるべきかを改めて問う必要があると感じています。

図形は次元が上がるにつれて難しくなるので、森脇さんは主に2次元の時空に対して不変量を返す理論を考えています。2次元では特別な現象が起こり、特定の場の量子論は正則関数を使って記述できます。こうした理論は簡単ではないですが、現在の数学でも十分に扱える範囲にあります。

しかし、正則関数を使って記述できる理論は2次元の中でも限られており、2次元ですらまだ完全に理解されているわけではありません。森脇さんは、正則関数を超えて、適切な関数クラスで2次元の場の量子論をより完全に記述する方法を模索しています。そして、それに基づいて、現実の次元である4次元の場の量子論を理解しようとしています。

物理を通じて数学を見る - 分野横断の魅力

修士課程まで物理はほとんど学ばず、数学を研究してきた森脇さん。物理を本格的に始めたのは博士課程1年の時です。大学間交流でUC Berkeleyを訪れた際、moonshine予想を解決してフィールズ賞を受賞した数学者のRichard Ewen Borcherds氏と会う機会がありました。学部生の頃から憧れていたBorcherds氏に、「物理が分かれば数学にとても役に立つ」と言われたことがきっかけで、物理の勉強を決意しました。また、それと同時期に、後に指導教官となる数学と物理の二刀流で活躍されている山崎雅人先生とも出会いました。UC Berkeley でのこれらの出来事が、森脇さんの人生のターニングポイントとなりました。

多くの数学者が物理を学ぶ際に直面する困難の一つに、モチベーションの違いがあります。森脇さんは「数学者のモチベーションを持ったままでは物理がわからなくなってしまうので、数学での経験を一旦全部忘れて、学部一年生から人生をやり直すような気持ちで物理を勉強しました」と振り返ります。

博士課程3年になる直前に数学科の知人から「物理を教えて欲しい」と頼まれました。それまで数学と切り離して学んできた物理を、どうやって数学者に伝えるか、また、場の量子論は数学として何なのかを初めて真剣に考えるきっかけとなりました。森脇さんは「自分の数学と物理が合流する貴重な機会でした。そこで『純粋数学』とは違った動機で数学を研究するスタイルがあることに気が付き、自分の研究が大きく変わった」と語ります。

数学と物理は動機や発展の仕方が異なりますが、異なる文化や国を訪れると自国の文化を新しい視点で理解できるように、物理を学ぶことによって自分自身の数学も相対化でき、別の視点で見られるようになるそうです。「数学は、普遍性、一般性、抽象性を求める学問だと言われており、より普遍的な記述になるように研究を進めるのが現代の数学のあり方の一つだと思います。物理の力を借りると、また違った進み方ができる。ある意味で物理から得た直感を直接概念化することを目指して数学ができます」(森脇さん)

多分野の研究者が交わるiTHEMS

しかし、数学と物理を両方研究するとなると、大変さもあります。例えば、ピアニストが3日ピアノを弾かないと腕が鈍るというように、数学や物理も数日間触れないでいると感覚が鈍るそうです。そのため、森脇さんが研究をする上で、さまざまな分野の研究者が集まり、日常的に話せるiTHEMSの環境はとても助けになっています。「物理を研究している人がそばにいると、物理学者が普段どのように考えて研究をしているかが分かるようになります。数学も物理もまだまだ分からないことだらけですが、人と人との関わりの中で、本には書かれていない雰囲気や空気感を理解することが、異分野の研究を進める上でとても大切なことだと思います。そういった会話の積み重ねが、私の研究にも大いに役立っています」と森脇さん。

微積分とニュートン力学、リーマン幾何学と相対論など、数学と物理は互いに影響を与え合いながら発展してきました。しかし、現代では分業化が進み、両方の分野を志す研究者はそれほど多くありません。だからこそ森脇さんは「数学と物理の分野横断を目指せるiTHEMSの環境は素晴らしい」と語ります。

場の量子論という巨大な象

場の量子論は広大で未知な部分が多く、『6人の盲人と象』という寓話のように、いろいろな側面を、いろいろな人が別々の方法で見るような形で研究されているそうです。森脇さんは、「場の量子論を数学として統一された理論にするためには、これらのバラバラに見えている側面を繋ぎ合わせることが必要だ」と考えています。数学には代数、幾何、解析という異なる領域がありますが、場の量子論にも同様に代数的な側面、幾何学的な側面、解析的な側面が存在します。それらは必ずしも繋がっていませんし、一部が繋がっていてもまだ完全には理解されていない部分が多くあります。森脇さんはまず、2次元の場の量子論においてこれらの側面を繋げることで、より完全なピクチャーを得たいと考えています。彼はもともと、代数を中心に研究をしていましたが、最近では解析と幾何にも力を入れています。これにより場の量子論を包括的に理解しようと努めています。

「場の量子論の様々な側面が繋がって、一つの絵になる未来を夢見ています」と森脇さん。彼の研究は、これらの異なる側面を統合することで、場の量子論の全体像を明らかにすることを目指しています。