所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2024年12月
現職: 理化学研究所 数理創造研究センター (iTHEMS) 国内外連携・人材育成部門 理研バークレーセンター 特別研究員
(執筆:鈴木志乃(フォトンクリエイト)/ 撮影:及川 誠(フォトグラファー))

始まりは「愛・地球博」

金久保優花さんは、「小学生のころから、研究者になると決めていました」と話します。きっかけは、小学4年生のときに両親に連れて行ってもらった「愛・地球博」(2005年日本国際博覧会)でした。「最新の科学技術で環境問題の解決を目指すいろいろな展示を見て、科学、特に化学には世界を変える力があると知り、衝撃を受けました。そして、研究者になりたい、化学をやりたいと思うようになったのです」と振り返ります。

その後、私立の中高一貫校に進学しました。「英語学習や海外研修に力を入れている学校で、海外研修に3回行きました。そのころから国際的なところに身を置きたいという思いがありました」と金久保さんは言います。

そして上智大学理工学部物質生命理工学科に進学。「化学を学ぶことができて、楽しかったですよ。でも……」と金久保さんは声を落とします。「ある化学反応について、なぜこの結合が起きたのかと、“なぜ”を突き詰めていったとき、化学の言葉では納得できなかったのです。先生たちに聞いて回り、自分の中で腑に落ちる言葉で説明してくれたのが、物理の先生でした。それが学部2年の終わりごろで、3年からは物理の授業を多く取るようになり、興味が物理へ移っていきました」

科学を共通言語にして1つの衝突現象について議論する

卒業研究は、原子核物理学の研究室で行うことに。そこで出会ったのが、現在の研究テーマでもある相対論的重イオン衝突でした。「原子核を光速近くまで加速して衝突させると、素粒子のクォークとグルーオンがたくさん生成されて2兆度もの超高温になります。クォーク・グルーオン・プラズマと呼ばれる状態です。それが膨張し、やがて冷えて、私たちの周りにある普通の物質であるハドロンが生成されます。これが相対論的重イオン衝突反応です。ビッグバン直後の宇宙は、クォーク・グルーオン・プラズマの状態だったと考えられています」と金久保さんは説明し、話を続けます。

「研究室で、相対論的重イオン衝突反応のシミュレーションを見せてもらいました。そして、その衝突反応にはいくつものフェーズがあり、複雑な物理現象がたくさん含まれていることを知りました。実験で観測できるのは、最後に生成されるハドロンだけです。衝突のすべての過程を理解するにはさまざまな物理の知識が必要で、その知識を組み合わせることで最終的に観測されるハドロンに埋め込まれた情報を引き出し、それを手がかりにクォーク・グルーオン・プラズマの性質やクォークとグルーオンがどういう相互作用をしているかを理解できる。その話を聞いてとても面白いと感じ、やり始めると、どんどん引き込まれていきました」

卒業研究が高く評価され、修士課程のとき国際会議に参加する機会を得ました。初めての国際会議の印象を、金久保さんはこう語ります。「世界中から研究者たちが集まり、科学を共通言語にして1つの衝突現象について議論する様子を目の当たりにして感銘を受け、自分もその議論に加わりたいと強く思いました。愛・地球博も、さまざまな国の人たちが集まり、環境問題という1つのテーマについて議論し、その解決策を考えるものでした。みんなで集まって科学を共通言語にして1つのことを議論するというのが、私は好きなのだと思います」

フィンランドで学んだ異文化での研究

上智大学大学院で博士号を取得した金久保さんが、次の研究の場に選んだのは、フィンランドのユヴァスキュラ大学でした。「なぜフィンランド?」と、よく聞かれるそうです。「それまで私は、相対論的重イオン衝突反応の中でも、クォーク・グルーオン・プラズマの時空発展について流体力学を用いたシミュレーションを行っていました。そこから離れて、少しでも新しい物理に挑戦したいと思ったのです。だから、衝突の初期に着目した研究を行っているユヴァスキュラ大学に決めました」

研究のことしか考えていなかったので、フィンランドへの出発直前になって「ものすごく寒いのでは? 言葉は通じるのか?」といった生活面での不安が膨らみました。実際には、森や湖など自然豊かで暮らしやすかった一方で、言葉の壁には苦労したそうです。「最初はワーキングスタイルにも戸惑った」と言います。

フィンランドでは、9時ごろに研究室に行き、昼には研究室のみんなでゆっくり食事をしながら研究やプライベートの話をします。昼休みは1時間半ほどで、3時ごろにコーヒーを飲みに集まることもあります。4時を過ぎると帰り始める人が出てきて、5時にはほとんどいなくなります。金久保さんは、フィンランドのワーキングスタイルに合わせようとしたものの、それでは十分に仕事が進まずに一日が終わってしまいました。結局、巻き返すために土日に仕事をすることに。

しばらくすると、ボスから声を掛けられました。「ユウカ、そんなことをしていたら燃え尽きてしまうよ。しっかり休んで頭を健康的な状態にして物事を考えないと、いい研究はできないよ」と。フィンランドでは、冬はマイナス30℃にもなり一日中真っ暗、夏は太陽が一日中出ています。心身が健康でなければ、外の極限的な環境に左右されてしまい、研究どころか日常生活にも支障が出てしまうのです。金久保さんはワーキングスタイルを見直しました。そのおかげで、フィンランドで始めた研究を、滞在中に論文として発表することもできました。「“郷に入っては郷に従え”を身をもって学びました」とフィンランドでの2年間を振り返りながら語ります。

ふと交わされる会話が大事

自分が主体となって研究を進めていけるようにならなければいけない。そう考えていた金久保さんが次の研究の場に選んだのが、iTHEMSでした。以前からiTHEMSのウェブサイトを頻繁にチェックしていたそうです。そして、iTHEMSでは研究者の主体性が重視されていること、異なる背景の人たちが集まり、交流が活発であることを、感じ取っていました。

金久保さんが研究において大切にしていることの1つが、コミュニケーションです。「人と人が会って、ふと交わす会話が、研究の進展につながることがあります。異なる分野の人と話すと、その分野で使われているアプローチが問題解決に役立つとひらめいたり、ブレークスルーが生まれることもあります。和光キャンパスで過ごした3カ月の間にも、コミュニケーションの大切さを何度も実感しました」

2024年12月には、iTHEMSセミナーで講演をしました。「多様なバックグラウンドを持つ人たちの集まりで話す難しさを痛感しました」と言います。「私の専門から離れた分野の研究者から、私自身があまり問題としていなかったところを指摘されました。セミナー後にアイデアを持ち寄って議論しに来てくれる方々もいました。こうして他分野の方々と議論することで、ある問題に別の視点からアプローチする方法を考える機会が生まれます。やはり、iTHEMSの環境は期待以上です」

科学の面白さを伝えることは、社会の一員としての責任

金久保さんは、個人のウェブサイトを2024年夏に立ち上げました。「デザインしたりするのは好きなので、自分らしさが出るウェブサイトをつくりたいと、ずっとバケットリストに載せていたのです」と話します。今後は、専門家向けだけでなく、一般向けの研究紹介も充実させていく予定とのこと。

「研究者は社会の一員です。研究室にこもって研究をしているだけでなく、それを還元することも大事だと思うのです。私は、万博で科学の面白さを知り、研究者の道に進みました。今度は私が、正しく、分かりやすく、楽しく、科学の面白さを伝えていきたいと思っています」

素粒子・原子核理論は基礎研究であり、すぐに役立つわけではありません。それでも金久保さんは、「論理的な思考、客観的な考察に基づいて仮説を立て、検証し、正しいかどうか判断する。そうした科学的なアプローチを知ることは、身の周りで起きる問題の解決にも役立つでしょう。科学は、世界を支える上で根本的に大事なものだということを伝えたいのです」と話します。

国際的コラボレーションを立ち上げ、異分野とも議論

金久保さんは、理研-バークレー フェローとして、カリフォルニア大学バークレー校にある理研-バークレーセンターに長期滞在して、相対論的重イオン衝突反応の研究に取り組みます。「私のオフィスは、理研-バークレーセンターに隣接するローレンス・バークレー国立研究所(LBNL)にあります。LBNLには相対論的重イオン衝突反応の研究者もいるので、私にとって理想的な研究環境です」

理研-バークレーセンターへの長期滞在は、科学技術振興機構(JST)の先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)に採択された「理研-バークレー 数理量子科学イニシアティブ」によるものです。このプログラムでは、理研とカリフォルニア大学バークレー校が密接に連携し、研究者の長期派遣と相互招聘を通じて、国際的な環境の中で世界的リーダーとなる若手研究者の育成を目指しています。

「ぜひ期待に応えたい」と、金久保さんは表情を引き締めます。今後は、日本とアメリカを行き来しながら研究に取り組む予定です。「まずは、LBNLに集まる相対論的重イオン衝突反応の研究者たちと国際的なコラボレーションを立ち上げ、自分が主体となって研究を進めます。ただし、物理の枠を超え、ほかの分野の視点から問題を見直す必要もありそうです。時には日本に戻り、iTHEMSでさまざまな分野の人と議論し、新たなアイデアやアプローチを吸収したいと考えています。これはiTHEMSの理研-バークレー フェローという立場だからこそ可能であり、私にとって完璧なポジションです」

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