微生物の研究から広がる新たな医療の可能性
熊倉 大騎
(数理創造プログラム 大学院生リサーチ・アソシエイト / 数理創造プログラム 研修生 / 北海道大学 大学院生命科学院 生命科学専攻 博士課程)
熊倉大騎さんは、北海道大学大学院生命科学院の博士課程の学生と並行して、理研iTHEMSに大学院生リサーチ・アソシエイト(Junior Research Associate: JRA)として在籍し、研究を進めています。学生としてiTHEMSで研究する利点や今後の展望などについてお話を伺いました。
キーワード: 精密医療、個別化・層別化医療、微生物学、数理生物学、バイオインフォマティクス、アウトリーチ活動
所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2024年9月
(執筆:篠崎菜穂子(フリーアナウンサー/ 数学コミュニケーター)/ 撮影:及川 誠(写真家))
数理生物学とバイオインフォマティクスを用いた微生物学の研究
熊倉さんの専門は、微生物学。細菌・古細菌やウイルスなどについて、数理生物学とバイオインフォマティクスを用いてアプローチをしています。バイオインフォマティクスとは、生命科学と情報科学の融合分野のひとつです。微生物学と数理生物学を組み合わせた研究では、細菌感染症といわれる、結核やコレラといった細菌の感染症に役立つような治療の理論的な条件や微生物の増殖に関する数理モデルの研究を、微生物学とバイオインフォマティクスを組み合わせた研究では、温泉から微生物を採取し、温泉環境中の新しいゲノムや遺伝資源などを調べ、微生物生態系の作られ方などについて研究をしているそうです。
研究の魅力について熊倉さんは、「”私だけで”ではなく”私たちで”何かを成し遂げようと思えること」だと語ります。私たちの身に回りにはさまざまな微生物が生きており、時には人に益や害をなしたりもします。しかし、微生物たちは常に1個体で何かを引き起こすわけではなく、同種や異種に関わらず、集団で生きているのだそうです。そんな微生物たちの関係性や生き様を数学や情報解析を通して定量化することで、「小さい生き物たちですらも個体だけで何かをなしているのではなく、集団になって何かを達成したりしていることが可視化できるところが楽しい」と熊倉さんは言います。
数理生物学と出会い、博士課程へ進学
子どもの頃から生物と数学に興味があったという熊倉さん。生物に興味をもったきっかけは、小学生で始めたウインドサーフィンだそうです。インストラクターが大学の博士課程の学生で、海を通して、さまざまな理科的な現象を教えてくれました。また、数学への興味は、お父様の影響が大きく、小学生の頃に算数の文章題をお父様と一緒に解くなかで、課題を数理課題に翻訳して立式することを学んだといいます。
高校時代には、北海道大学水産学部でプランクトンや微生物の研究がしたいと思うようになります。北海道江差町の漁師をしていたお爺様の影響で、幼少のころから実習に来ていた水産学部の学生たちに話を聞いていたこと、また、ウインドサーフィンを通して、赤潮や青潮とよばれる海洋現象によって、大量の魚が死んでしまったり、クラゲが大量に発生してしまったりする現象を目の当たりにしており、海洋環境に関する勉強や研究をして世の中に貢献したいという気持ちがあったからだそうです。
その後、北海道大学水産学部に進学。海洋微生物学研究室に所属し、新種細菌の代謝解析の研究に取り組みました。
大学では馬術部に所属した熊倉さん。馬の調教だけではなく、担当する馬の日々のお世話や怪我や病気の治療や予防などにも立ち会いました。同じ治療をしても、馬によって特性個体があるため、個性に応じて治療の仕方を変えたり、アプローチを変えたりしていることを獣医師から聞いた熊倉さんは、個別化医療の重要性を感じるようになります。また、人獣共通感染症の病原体は微生物やウイルスが多く、一部は薬に対して抵抗性を持つようになる薬剤耐性化をしてしまうという現象も稀に起こることを知りました。それに対してどうアプローチをしていくのかなど、「微生物学のなかでも医学というところでの面白さをこのときに見出した」と熊倉さんは振り返ります。こうした馬術部での経験が、後の熊倉さんの研究や進路に大きく影響を与えることになります。
さらに、大学の図書館で『数理生物学入門』という書籍に出会い、数学と生物が好きだった熊倉さんは、数学を使って生物の課題を解決したり、考察したりする方法を微生物でも用いたいと考え、数理生物学を研究したいと思うようになります。
人や医学に関わる微生物の研究のほか、土壌などの野外環境に関わるようなあらゆる微生物たちを網羅的に研究したいと考えた熊倉さんは、実験だけではなく、微生物学と数理生物学を組み合わせた理論的な側面からアプローチをしていくことが、自分が研究したいことだと気が付き、大学院からは同じ北海道大学の生命科学院にある数理生物学研究室、現指導教員である中岡慎治先生のもとに移りました。
iTHEMSの自由な研究環境と多様な研究者との交流
iTHEMSで研究を行える環境は「最高です」と熊倉さん。自分がやりたい研究を自由に進められること、そして、困難が生じた際には、プログラムディレクターの初田哲男さんはじめ、スタッフの皆さんなどに相談することで、代替的にできるように取り計らってもらえる環境が整っていると言います。
また、研究会などで聞いた話をiTHEMSの研究者とシェアすることで、フィードバックがもらえ、それをもとに自分の研究をブラッシュアップしていける環境は、まだ学生である熊倉さんにとっては鍛えられる貴重な経験になるそうです。iTHEMSにはさまざまな分野の研究者が在籍しているので、研究者の専門に合わせて自分の話す解像度も変えていかなければなりません。例えば、生物学者が相手の場合は、生物の知識はお互い知っているので、専門用語を用いて議論ができます。しかし、数学者と議論をする場合は、数学の説明から生物について話すなど伝え方にも工夫が必要になります。「伝える相手によってどのように伝えたらよいかとアレンジする力も自然に磨かれる」と熊倉さんは言います。
そうした環境の中、これまでの成果として、自身の論文を博士課程2年のときに出版することができました。また、副プログラムディレクターのCatherine Beaucheminさんと進めている数理解析研究、上級研究員のJeffrey Fawcettさんらと進めている温泉環境微生物研究は、現在仕上げている最中だそうです。
個別化・層別化医療の普及を目指して
熊倉さんは、理論生物学若手の会を発足し、「理論生物学 夏の学校」を企画・運営をするなどアウトリーチ活動にも積極的に取り組んでいます。「日本では数理生物学の研究室が限られており、それぞれに学べるものや得られるものが異なる」と熊倉さん。研究者同士の学びや人脈を広げる機会を平等に提供したいと考え、活動をしています。
加えて、一家に1枚「世界とつながる“数理”」のポスター制作や理研オープンラボ、所属大学のイベント出演などを通して、「数学と生物を組み合わせた学問」を一人でも多くの一般の方にも知っていただきたいと考えているそうです。
熊倉さんは、博士課程を修了後、民間の製薬企業で働きながら、iTHEMSでも研究を続けていくことが決まっています。治療が画一的なものではなく、それぞれの患者に対して最適な治療を最大の効果が出るように実践していくことが必要ではないかと考え、そのためには、自身が持っている知識やアプローチの仕方などを、実際に役立つような場所で発揮をしていきたいと考えています。まずは、病歴や年齢層など属性ごとに最適な治療方法を実践し、そこから個人にあった治療方法を提供していけることを目指し、「個別化・層別化医療の普及に貢献していきたい」と熊倉さんは熱く語ります。