科学を媒体にして人と人をつなぐには
永井 智哉
(数理創造プログラム コーディネーター / 数理創造プログラム プログラムディレクター室 室長)
数学といえば思い浮かぶ、さまざまな数式を書き連ねた大きな黒板。黒板を囲んだ議論は数理創造プログラム(iTHEMS)の研究風景をとらえた動画や写真にもたびたび登場します。活発に議論が生まれるこうした「場」はどのように作られていくのでしょうか。研究環境づくりに取り組んでいる永井智哉コーディネーター/プログラムディレクター室室長にうかがいました。
キーワード: 研究環境づくり、コーディネーター、研究マネージメント、アウトリーチ活動
所属や職名は、取材当時のものです。取材日:2024年4月
(執筆:秋山 文野/科学ライター)
永井コーディネーターは、数理創造プログラム(iTHEMS)ではどんなことをされているのでしょうか?
永井:数理創造プログラムはこれからセンター化して大きくしていこうという目標を持っています。大きくするには予算がまず必要ですし、これまでのiTHEMSのやり方を踏襲しつつ、大きな規模に合わせた体制が必要になります。すると、研究者が本来はそこに時間を費やさなくてよいはずの事務的な仕事がたくさん出てきます。私の仕事は、研究マネージメントの専門として研究者をサポートする役割です。
研究の環境を整えるには、どんなことが必要なのでしょうか?
永井:iTHEMSという組織には、様々な分野の理論研究者たちがいるというのが大きな特徴です。それから数学者を始め、数学を利用する研究者たちがいる。もちろん数学そのものの最先端の研究もしています。そして、大規模に計算機を使いこなす計算科学者がいます。計算科学、数学、理論科学、3つの輪を重ねたように構成されている「数理」を軸とする研究者が分野の枠を超えて基礎研究を推進するのがiTHEMSです。一方で、対応する分野には生物などの生命系から物性、材料系もありますし、物理や素粒子、原子核、宇宙などまであらゆる分野が含まれています。
私とiTHEMSの出会いですが、もともと私は理論天文学の研究者で、大学院卒業後は開館したばかりの日本科学未来館で科学コミュニケーションの仕事を始めました。当時は「広報・普及」と呼んでいましたけれども、大学院生時代の経験も元に、できることを広げていったのです。それからJSTの科学技術政策のシンクタンク的な役割を持つ研究開発戦略センターや、「CREST」「さきがけ」といった事業を経験してきました。そして前職では10年近くスーパーコンピューターの「京」や「富岳」を使った素粒子原子核宇宙物理研究のプロジェクトマネージャをしていました。京や富岳を使って最先端の大規模なシミュレーションをする研究者たちが分野を束ねて一緒に盛り立てたり、情報共有したりする。素粒子や原子核、宇宙の分野は隣接しているけれど微妙に違いがあります。さらに所属する組織も、さまざまな大学や研究機関に分かれていますし、日本全国に散らばっています。いくつかの研究機関が一緒にまとまって研究を進める拠点が立ち上がるからには、誰かがまとめ役として運営しなければいけないわけです。
理論天文学者として研究方法には馴染みがありましたし、CREST・さきがけで数学に関する新しい領域が立ち上がるときに中心的な役割を任命されましたので数学分野に接した経験もありました。こういう経験から、私はどちらかというと、政府などとやり取りをしながら、科学を推進しマネージメントする方向に興味があって、iTHEMSで「数理」科学研究拠点のコーディネーターとして、研究マネージメントをすることになったのです。
コーディネーターとして目指されている研究が生まれる環境というのは、実験装置や設備がそろっている……ということとは異なるわけですね。
永井:数学者や理論研究者というと、黒板にぎっしり数式が書いてあるのを皆さん 想像されるかもしれません。多くの数学者や理論研究者の人たちに接してみると、これは本当です。紙と鉛筆や黒板で書くという手足の動作によって非常に考えがまとまって研究が進むという文化があるのですね。これは私にも馴染みがありました。ここでは黒板だけではなくホワイトボードも用いられていますが、数学や理論研究というのは基本的には人がつながって活発に議論しながら共同研究が生まれる環境を作ることが大切なのだと思います。
一方で理論研究というのは、どこから何が生まれるか事前にはわからないという部分があります。そこでiTHEMSという自由に共同研究が生まれるような環境、「場」を研究者に与えるということをしています。黒板やホワイトボードもそうですが、ここの組織は非常にフラットなことも特徴です。プログラムディレクターとして初田哲男さんがいますが、その下にはチームといったものがなく、全員がフラットな立場の組織になっていて、「アンダーワンルーフ」と呼んでいます。
研究環境として、研究費という側面もあります。理論研究ですから実験をする研究のように多額ではないにせよ、1人1人に年間の研究費が与えられます。iTHEMSに来た優秀な人たちは、ここに来たからには新しい研究をしたいと思っている。ですからどこからでも議論が始まって、新しい仲間と勉強会を始められます。これをスタディグループと呼んでいます。さらに分野を越えた共同研究の新しい可能性を探るためワーキンググループという活動もあります。このスタディグループやワーキングループを立ち上げる提案をもらって、予算をつけることで外部から講師を呼んでくるなど活動ができ、さらにそこから新しい研究が生まれるわけです。
iTHEMSは研究者にとって非常にオープンな組織となっていて、Web上に全てのセミナーやさまざまな研究に関する行事がオープンにされています。研究者にとっては非常にハードルが低くてだれでも参加できるようなシステムが作られているのです。研究者が「こういう勉強会やセミナーを開きたい」ということを登録すると、フォーマットがあって内容はWebに公開され、関係者にはメールで案内が流れる。開催後にも情報がWebに集約されていきます。すると、過去にどんなことをしていて、どんな人たちが参加したのかというところもも含め幅広く分野周辺の人たちに伝わる仕組みです。
研究環境にもハード面とソフト面があって、道具を整えることとやりたいことができたときの燃料、その両方が必要になるわけですね。
永井:そうです。研究について議論する場ができると、研究者の方々がやってきて共同研究が生まれる。実験施設があるわけではないので、優秀な人にまず来ていただくということが重要だと思います。その意味では、知名度を上げて、こういう素晴らしい研究所がある、ということを研究界に知らせていくという意味での広報も重要ですね。
公募で集まってきた人たちが自由に楽しく研究ができる環境を与えて、その人たちをつなぐ。つなぐといっても「この技術が欲しい」というようにテーマを与えてチーム編成するわけではないですし、お見合いをさせるわけでもなくて、みんなが研究しやすい環境を作るというところにつきます。
一般の方へ研究を伝える、アウトリーチ活動もされているのですね。
永井:iTHEMSは女性研究者を増やす、若い研究者の卵を育てていくといったことにも力を入れています。奈良女子大学といった大学と協力して、講師を派遣するなど若手研究者がこの分野に進んでくれるように促進する活動も続けていますね。さらに若い、高校生たち向けにオンラインイベントを開催したり、文部科学省の科学技術週間に配布する「一家に1枚」シリーズのポスター『数理』を私が中心となって制作しました。小学校高学年以上の幅広い分野の人たちに数理科学を知ってもらいたいと思います。
私が日本科学未来館やJST、スーパーコンピューターを使った研究プロジェクトマネージャといった経験で育ててきた、科学を媒体にして国民や政府、研究者の仲立ちになりたい、という仕事が今まさにiTHEMSコーディネーターという仕事として動き出しているのだと思っています。